命を慈しむ心。そこから紡がれる偶像の姿を求めて
私が人形を作り始めたのは、ある人形作家の作品に感銘を受けたのが切っ掛けだった。彼の人形には、人の心を魅了する何かがあった。私もこういう作品を生み出せる作家になりたいと、その時強く思ったのを覚えている。見よう見まねで人形を作るうちに、幼少期にあった虐めの経験や人の顔色を伺って気を使っていた経験などで養われた感性が、人形という表現を通して徐々に結びつき、作る事で気分が晴れて楽しくなっていったのを覚えている。私が人形を作り始めた原点はここにある気がしている。しかし、ただ作りたい人形を作り楽しんでいただけの考えは、ある経験をした事と漆という素材に出会った事で大きく変化する事になった。
大学生時代、約1ヶ月かけて中国からチベットを旅した。ある日、昼食をとった食堂の裏庭で小さな檻を見つけた。檻の中には、一生懸命に餌をついばむ鶏達の健気な姿があった。しかし、その檻の上のトタンには、解体されたウサギの肉が日干しされていたのだ。食用となる運命の鶏達、しかし彼らの眼は今を懸命に生きようとする命の輝きで満ちあふれているように、私には見えたのである。私達人間の命は、彼らの命の犠牲のおかげで成り立っている。しかし果たしてどれだけの人間がその事実を認識し、感謝をして食事をしているのだろうか。眼の前の鶏と私も、同じ命で繋がっていると認識した瞬間、その懸命に生きる鶏達の姿に、私は畏敬の念を抱かずにはいられなかった。この命を慈しむ気持ちの大切さに気付かせてくれた、鶏達に対する感謝の気持ちを作品として表現したい、そんな欲求から私の偶像表現は始まった。そしてこの作品が、観る人の心に感動を与え、それが自身の喜びとなって返ってくる経験をした時、私が作品を作る意味や目的を見出せた気がしたのだ。あらゆる命の中には多くの感動や学びが存在している。私はそれら一つ一つを紡ぎだし、偶像作品として表現していきたい。これが私の作品テーマである。
私が自らの作った人形作品を”偶像”と呼ぶのは、偶像という言葉の持つ“憧れや崇拝の対象”という意味が、作品テーマを表現するのに最適な言葉だと感じているからだ。素材として漆を用いる理由も同様である。専用の道具で幹の表面に大きな傷を何個もつけ、一滴一滴とにじみ出る漆液をすくい取って漆は採取される。漆は自然が育んだ命そのものであり、私の作品テーマを形作る素材として、これほど最適な素材は無いと確信している。また、漆黒の艶や蒔絵など、漆独特の神秘的な魅力の中にも、偶像表現の新たな可能性を感じている。
私の偶像表現のテーマと、漆という素材の持つ神秘的な魅力。この2つが統合された時、まだ見ぬ新しい偶像の姿を創造出来ると私は確信している。そして、漆文化の継承のためにも、私の作品を通して漆という素材の魅力をより多くの方々に知って頂きたいと願っている。
漆芸作家 吉野貴将